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イベントレポート - ドリアン助川講演会

「ドリアン助川講演会――小説『あん』ができるまで」

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講演者

ドリアン助川 (明治学院大学教授、作家・歌手)

日時:2019年11月16日(土)、14時~16時
場所:清泉女学院大学 長野駅東口キャンパス

 清泉女学院大学の文化学科の主催で、「ドリアン助川講演会――小説『あん』ができるまで」が、2019年11月16日(土)の午後(14:00~16:00)、清泉女学院大学東口キャンパスにて開催され、90名が参加した。

 「文化をつむぎ、つなぎ、つくりだす」という文化学科の趣旨に沿いながら、助川さんは講演の主題「小説『あん』ができるまで」に本格的にとりくみ、このためにさまざまな50にも及ぶスライドを準備して下さった。バンドとして活躍された時代、東西の壁崩壊時の東欧訪問、カンヌ映画祭での写真など、聴衆も講演者の体験を直に共有することができた。

 小説『あん』はいかにして生まれたのかという講演の主題から最後まで離れることなく、これがどのような着想ではじまり、出版社変更などの紆余曲折を経て出版され、それが映画化され、カンヌ映画祭に出品されるに至る経緯をエピソードを交えて情熱をもって語られた。因みに『あん』は、世界14か国に翻訳され、フランスで二つの文学賞を受賞し、さらにリセ(日本の高等学校)の教科書に載るまでに至る。

 そのエピソードの間には、助川さんの何事に対しても体当たりの人生、哲学、挫折、東欧への渡航、3年間のNYでの活動をさしはさみながら、しかも主題と離れることなく語るさまは、物語の組み立てに熟練したパーフォーマーにして芸術家の業そのものであった。

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 折角なので、以下にかいつまんで小説「あん」が出来上がるまでのエピソードと講演内容をお伝えしておきたい。1989年11月9日の東西冷戦構造の崩壊、ベルリンの壁が崩壊し世界が動く。その時の生のニュースがラジオ局に飛び込んできた。当時、フリーの放送記者をしていた助川氏はベルリンや東欧に飛び、現状を伝えた。その後1995年から2000年まで深夜ラジオ番組のパーソナリティをして若者たちの悩み相談にのりながら「生きる意味」について問いた。その頃「らい予防法」が廃止され、療養所に隔離されてきた人たちの「生きていることの意味」について考え始め、ハンセン病にかかわるテーマで書きたいと願うようになる。ラジオ番組の仕事を辞めて3年間米国ニューヨークで過ごした。その間に9.11の同時多発テロがおこった。社会は変わりやすい。生きてきたことにも意味がある。NYにおいてもハンセン病のテーマは宿題となった。帰国後、所沢のNPOで招かれて講演をしたときに、多摩全生園の方と出会い、それがきっかけで『あん』を執筆するに至る道が開けてくる。『あん』は樹木希林さんをイメージして書いた。主役を二人とすることで対話を通して、より多面的また立体的にものごとが見えてくる。映画では河瀬直美監督にお願いできることとなった。自分は手軽に成功を掴んだわけではない。実際『あん』も40冊目の著書となる。それまでは思ったようには売れなかったということでもある。大手出版社からの出版の計画が急に崩される。三年間で11回も書きなおすこととなる。現今の日本においても、国語文化に変化が出ている。文学や哲学が疎んじられ、教育からもなくなる方向性にある。フランスの高校生はみな『あん』を読むことになっている。現代の社会はすぐに結果が出るものを求める傾向にある。なんでも出会いや潮時がある。大切なことは、決して棄てないということ。最後まで諦めない。その時、いい風が吹く、必ず。

 最後は『あん』における徳江さんの手紙の一部が朗読され、聴衆の心を打った。2時間もあっという間に過ぎ時間が短く感じられた。気さくに参加者にも対応してくださり、人間として語り手としての魅力も発揮され、聴衆、講演側にとっても好評を博した講演会であった。

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