清泉女学院大学 清泉女学院短期大学

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学長メッセージ - 2017年度 入学式式辞

学長 芝山 豊

ケアの文化を支える 別品の大学

人類を意味するラテン語ホモ・サピエンス(知恵の人)が示す通り、人の特性は知性にあります。人は、また、その一生を通じて、ケアし、ケアされる存在として、ホモ・クーランス(ケアの人)とも呼ばれます。互いの痛みを感じ、互いに関わることを通して、人は真の幸福を手にいれるのです。清泉女学院大学・短期大学が「こころを育てる」大学を標榜する意味もそこにあります。

スペインに源をもつ聖心侍女修道会のシスターたちが長野に居を構えて以来、本学は、その精神を引継ぎ、甲信越北陸地域唯一のカトリック高等教育機関として、社会と地域に貢献してきました。

地域の暮らしに深く根をおろし、学知と本当の優しさに裏打ちされた知恵によってケアの文化を支え、世界をより善いものに変えていく。そんな人々を世に送り出す大学として、多くの卒業生と支援者に支えられ、小規模校ながら、「かたち」のみの格付けを超えた、活力と気品に満ちた、別格、別品の大学であり続けたいと思います。

みなさまが清泉での学びに加わられる日を楽しみにお待ちしております。



2017年度 入学式 式辞

新入生のみなさん、入学おめでとうございます。

新入生のご家族、関係者のみなさまにも、心よりお祝いを申し上げます。

新入生のみなさんは、今日から短期大学、大学の学生となりました。

学生とは、予め決められたものを学ぶ生徒と呼ばれる存在とは違い、何を学ぶべきかを主体的に考える存在です。

最近、active learning ということがよく言われますが、対話、討論、問答などは、洋の東西を問わず、真摯な学問の場で、古来、あたりまえに行われてきた知的訓練であり、問題解決を目指さない学問など、そもそもありはしなかったのです。大学は、虚仮(こけ)威(おどし)の学術用語や流行思想を覚えるところでもなければ、与えられる知識や技術をただ受け取るところでもありません。書物に書かれていることや教師のいうことを鵜のみにせず、批判的に吟味し、自らの頭で考え、得られた知見を自分のためだけでなく、他者のために活かさなければ、真に学んだことにはなりません。ですから、学びの場は、教室やキャンパスの中だけに限られていません。様々な現場に足を運び、そこに生きる様々な人々と直に交わる体験が大切です。

大学や短大での学びは、100円を出せば、必ず100円の価値のものが手に入れられるといった等価交換のシステムではありません。これからの2年間、4年間で、何を受け取るかは、あなたがたひとりひとりの学びの姿勢によって決まるのです。

新入生は、今日から学生になっただけではなく、清泉女学院の高等教育機関の一員になったのです。

清泉女学院は、日本で苛烈なキリスト教弾圧が再び始まっていた1930年代、はるばるヨーロッパからやって来たスペイン系女子修道会、聖心侍女修道会のシスター達が、戦時中、野沢温泉村での過酷な強制疎開を耐え抜き、戦後も長野の地に留まり、女性の教育に生涯を捧げる覚悟をされたことによって、この地に誕生しました。

「謙遜」と「小ささ」を旨とする聖心侍女修道会のシスターたちは、ただ単に、普通の学校を始めることを望んだわけではありません。神と神の愛、その良き訪れを伝えるための学校をつくろうとしたのです。

この大学のミッションは、カトリックあるいはキリスト教徒の数を増やすことではありません。福音の精神の核心を伝える教育の実践です。

本学では、その教育を、「こころを育てる」という言葉で表現しています。

「こころを育てる」のは大学ではなく、みなさん自身です。その育てるべき「こころ」には、思考力や情操だけでなく、沖縄のことば「ちむぐくる」が含む懐深い優しさや、psychologyの語源であるギリシャ語、プシュケが意味する生命の原理のようなものも含まれているでしょう。

「こころ」と対をなすことばは「かたち」です。かたちは目に見えますが、こころは目にみえません。「大切なものは、目に見えない」のです。「こころを育てる」には、まず、目にみえないものにこころを向けねばなりません。

本学図書館棟の外壁には SURSUM CORDAの文字が刻まれています。これは「こころを高くあげよう」という意味のラテン語です。高みをのぞむというのは、上昇志向のようなものを意味するのではありません。しっかり、大地を踏みしめて、人間を超えた存在へ、静かにこころを向けることを意味しています。そうすることで、目に見えない大切なものが、小さな子どもたちや、いつも目立たず片隅にいる人たち、立場の弱い人たちとともにあることが分かるはずです。すべての人間は脆く、壊れやすい存在であり、一人だけでは決して生きていけない頼りない存在でもあります。ですから、人は互いにケアし、ケアされなくてはならないのです。人類を、その特性をとらえて、人と知恵を表すラテン語を用いてhomo sapienceと呼ぶように、人は、ケアを表すラテン語を用いて、homo curansと呼ぶこともできるでしょう。清泉の学びは、地域と世界のケアの文化の担い手を育み、真の平和と社会正義のもとで、ひとりひとりがケアされる、環境的、社会的、文化的エコロジーに配慮がなされた共生的な社会の実現を目指すものです。

不安なこともあるでしょうが、心配はいりません。校舎の壁面には、もうひとつのラテン語のことば、DOMINUS TECUM が刻まれています。アヴェマリアの祈りに出るこの言葉は、「主はあなたとともにおられる」という意味ですが、いまのところは、難しく考えず、「誰かがきっと見てくれている」と思えばよいのではないかと思います。どんな時であっても、あなたは決して、一人ぼっちの身捨てられた存在ではあり得ないということです。

伝統に倣い、今年度もまた、この佳き日に、清泉女学院大学・短期大学の先輩たちが大切にまもりつづけて来た、二つの句

SURSUM CORDA とDOMINUS TECUM を、新入生のみなさんに贈り、学長からの歓迎のことばの結びといたします。

2017年4月1日
学長 芝山 豊

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