清泉女学院大学 清泉女学院短期大学

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学長メッセージ

学長 田村俊輔
学長 田村俊輔

本学は「こころを育てる」を教育目標の基本に掲げています。この「こころ」についてお話しします。それは他者に共感する力を持ったこころです。

本学の建学の理念であるキリスト教の中心メッセージは「神が愛したように互いに愛し合いなさい」です。「神の愛」とは、人間一人ひとりのかけがえのない固有の存在を尊び、慈しみつつ、その成長を助ける愛です。聖書の中でイエスは、そのような愛で人間がお互いに愛し合うことによって生み出される世界を創っていくことを説いています。

そのためには、他者が痛みを持っている時、苦しんでいる時、その痛み、苦しみを自分のことと感じる共感能力が必要です。この共感能力とは、感じるだけではなく、その痛みを共にし、その問題解決のために自分ができることは何かを考え、実行に移すことができる力を内包するものです。

本学は、教育と教職員、学生同士の触れ合いを通じて、学生ひとり一人が神の愛で慈しまれていることを体験し、その体験に基づいて育まれる共感能力を身につけて、お互いを大切にして日々を過ごせる教育環境を提供します。

このような環境の中で、ここに集うひとり一人が、よりよい社会の一員として羽ばたけるようになることを目指しています。

2020年度卒業式 式辞

 卒業生の皆様、そして、ご家族の皆様、卒業おめでとうございます。
 皆さんの清泉での最終学年は、人類史上特別な年となりました。

 新型コロナウィルス感染は、多くの人々に苦しみをもたらしました。日常生活にさえ困難を抱えている人々も大勢いらっしゃいます。この闇がいつ明けるか、誰も知りえない毎日が続いています。
 そして、世界中がこの困難に直面することで、私たちは、これまで余り意識しなかった一つの事実を突きつけられることになりました。それは、私たち誰もが持つ「脆弱性」、つまり、「壊れやすさ」です。
 英語圏から届く小包に「Fragile」という単語が印刷されていることがあります。「Fragile」とは、「壊れ物」という意味です。コロナ禍を通じて、私自身、これまでそれ程注目することのなかったこの単語を目にするたびに、高度な文明を築いてきた人間と、その繁栄の裏に、思いもかけない壊れやすさが潜んでいることを自覚し、戦慄を覚えています。
 壊れやすいのは、人の身体だけではなく、「社会のシステム」、「人と人とのつながり」など、人間の生活を根本で支えてきた文明の基盤そのものであることも明らかになってきました。
 新型コロナ感染拡大により、大学で私たちは、オンライン授業と対面授業が入り混じった、これまでにない学び方を経験することになりました。皆さんの中には、オンラインの授業によって、通学することが不要となり、朝寝坊ができることを喜んだ方、授業録画が配信されオンデマンドで利用できることで、授業を繰り返し視聴することが可能となり、それによって、学習の利便性が向上したと思い、それを喜んだ方もあるでしょう。
 オンラインでの授業や仕事を通じて、この通信方法をさらに推し進めることによって、新しい学び方、働き方が可能となり、その方法が開発されるようになったのは、今回の非常事態が産んだ一つの肯定的な側面であることは確かです。
 しかし、このような新しいコミュニケーションの方法とその活用が加速すると同時に、改めて気付かされたことがありました。それは、時空間の中で直に、触れ合うことによって生み出されていた「人と人とのつながり」が、どれほど深く私たちの日常を支えていたかということです。
 学生の一人が、私にこんな風に話してくれました。「オンラインの授業は便利だし。通学する交通費も時間も節約できます。でも、私は、面と向かって、じかに友達や先生と話したい」と。
 これまで当たり前に存在していた、そのような直のつながりが奪われ、それによって生じる心の隙間を日々経験することによって、身体だけではなく、私たちの心もまた、極めて壊れやすい存在であることもあらためて自覚されるようになってきたのです。
 今年は東日本大震災から10年目の年でもありました。あの津波の猛威に、なすすべもなく翻弄された方々。そして、すべてをコントロール下におけるという傲慢な幻想が引き起こした原発事故によって、今も、苦しみの中にいる方々の存在も、忘れることはできません。
 そうです。私たち人間の、「身体(からだ)とこころ」、「生活」、「文明」は、実に「壊れやすい」のです。

 しかし、ここで改めて問いたいことがあります。それは、私たちは、その壊れやすさに絶望して、膝を抱えて、うずくまることしかできないのかということです。

 先程朗読された聖書の箇所は、旧約聖書の詩編というジャンルの一つの詩です。この詩は、ヘブライ民族が、彼らの聖地エルサレムへの巡礼の旅に発つときに歌った詩です。また、後に、国土を奪われ、流浪の民となったヘブライ民族が、苦悩の歴史の中で、困難にあっても、「必ず、どこからか神の助けが来る」ということを信じる「信仰の表明」として、歌い継がれるようになったものです。
 天災、人災、様々の逃れがたい困難に直面するとき、私たちは、自らの壊れやすさに足がすくみ、立ち尽くすほかはないと、感じることがあります。
 しかし、詩編のこの詩は、その信じる神が、「人間の弱さを理解し、痛みに共感し、絶望の中から助けを求める声に、確かな形で答えを送ってくる」ということを、歴史を通じて、伝えてきました。
 この短い詩編の朗読箇所には「見守る」という言葉が、6回、リフレインのように繰り返されます。「見守る」とは、ただ眺めるということではなく、絶望の中にある人間の前に、様々な、援助の手を遣わす「計らい」を意味しています。

 シークレット・ガーデンというグループが作った「You raise me up」という曲があります。皆さんもどこかでお聴きになったことがあると思います。「You raise me up」 とは「あなたが 私を立ち上がらせてくれる」という意味です。この歌の歌詞は、「困難な時、心に重荷を背負ったとき、あなたが私のもとに来て、私を立ち上がらせてくれる。その力に助けられることで、私は、『自分が持っている力を超えて』進むことができる」という感謝の言葉が続きます。
 このYouが、誰を意味するかは、この曲を耳にする人それぞれによって自由な解釈が可能です。しかし、この曲が、世界中の、実に多くの歌手によってカバーされ、多くの機会に歌われている現実は、次のことを物語っているように思われます。
 それは、この曲が伝える「You」に、人間を見守る超越者の存在を感じ取る人々が、少なくないということです。そして、その「超越者」による人間への慈しみと、計らいにより、様々な形で、助けの手が差し伸べられ、それまで不可能と思われていた道が開け、歩みを進めることができる、ということを、経験を通じて確信した人々が多くいる、ということではないでしょうか。

 私たちの歴史において、特別の時として記憶されるであろうこの年に、清泉を巣立つ皆さん。人間の「弱さ」、「壊れやすさ」があらわになる、その時にこそ、見守る者の助けの手も、予想を超えた形で私たち一人ひとりの上に、立ち現れると信じる心を持って、新たな時代に羽ばたいていってください。

 卒業おめでとう。あなた方お一人お一人にとって幸い(さいわい)な人生でありますようにと心からお祈りしています。

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学長  田村 俊輔

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