清泉女学院大学 清泉女学院短期大学

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学長メッセージ

学長 田村俊輔
学長 田村俊輔

本学は「こころを育てる」を教育目標の基本に掲げています。この「こころ」についてお話しします。それは他者に共感する力を持ったこころです。

本学の建学の理念であるキリスト教の中心メッセージは「神が愛したように互いに愛し合いなさい」です。「神の愛」とは、人間一人ひとりのかけがえのない固有の存在を尊び、慈しみつつ、その成長を助ける愛です。聖書の中でイエスは、そのような愛で人間がお互いに愛し合うことによって生み出される世界を創っていくことを説いています。

そのためには、他者が痛みを持っている時、苦しんでいる時、その痛み、苦しみを自分のことと感じる共感能力が必要です。この共感能力とは、感じるだけではなく、その痛みを共にし、その問題解決のために自分ができることは何かを考え、実行に移すことができる力を内包するものです。

本学は、教育と教職員、学生同士の触れ合いを通じて、学生ひとり一人が神の愛で慈しまれていることを体験し、その体験に基づいて育まれる共感能力を身につけて、お互いを大切にして日々を過ごせる教育環境を提供します。

このような環境の中で、ここに集うひとり一人が、よりよい社会の一員として羽ばたけるようになることを目指しています。

2022年度卒業式 式辞

 卒業おめでとうございます。今年度の卒業式は、様々な意味で特別です。清泉女学院のすべて、5つの学部、専攻科、研究科の卒業生が、一堂に会して祝う、初めての卒業式だからです。また、人間学部と看護学部生の皆さんは、入学した年に台風19号による洪水被害を経験しました。そして、全学生がコロナ禍のただ中での大学生活を送ってきました。このような特別な卒業式に際して、この清泉で過ごした日々を振り返りながら、わたしたちがこの大学で大切にしている「1つのこと」についてお話しいたします。

 新約聖書、マタイによる福音書(18章)に次のような一節があります。
<そこでイエスは彼らに、このたとえをお話になった、 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、家に帰ってきて友人や隣人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう>
この話を聞いて、皆さんは、この羊飼いの行動についてどう感じるでしょうか?そして、ご自身が羊飼いで、このような状況に立ち至ったとしたら、どのように考えると、思いますか?
 「一匹のことは、忘れて、残りの99匹の世話をして、これ以上、損失を増やさないようにすることが大事」と考えるかもしれません。この考え方は、現代を生きる私たちにとって、一見合理的に聞こえるだけでなく、日常的に見聞きすることと少なからず一致してはいないでしょうか。
 しかし、この考え方には、いくつかの問題があります。
 その問題の一つは「一匹くらい、いなくなっても仕方ないだろう」という思い。もう一つは、迷い出た理由を、当の羊の自己責任として切り捨てようとする思いです。そして、これらの思いの奥にはひとつの冷たい視線があります。その視線が物語るのは「迷子になった羊の代わりは他の羊で補充すれば済む」という考え方です。
 このような考え方を念頭に、今度は、自分を残った99匹の羊の一匹に置き換えてみてください。どう感じるでしょうか?「私たちはいくらでも代わりのきく羊だ。迷子になったら、見捨てられて、他の羊に取り換えられてしまう」という不安にかられるのではないでしょうか。あるいは「迷子になった羊が、愚かだったのだ。私は、迷子になるようなミスはおかさない」という言葉を心の中でつぶやくでしょうか。
 イエスが語る羊飼いは、迷子になった一匹を、自ら探しに出ていきます。残りの99匹を残してという危険を冒してまでも。なぜでしょうか?
そもそも、100匹という大きな群れを世話している羊飼いにとって、その中から一匹がいなくなったことに、どうして気付くことができたのでしょうか?羊を数えてみて気づいたのだ、という考え方もあるかもしれません。しかし、その場合、「どの羊」がいなくなったのかは、わからないでしょう。イエスが語る羊飼いが、いなくなっている羊に気付くことができたのは、100匹それぞれの羊が「代わりがきかない特別な唯一の」羊だったから、ではないでしょうか。
 親が「お子さんは何人ですか」と問われて「うちには子供が3人います」と答えた場面を思い起こしてください。それをたずねた人にとっては「3人」という数字が残るでしょう。しかし、答えた親にとっては、その3人は、それぞれに特別な子供です。もし、そのうちの一人が行方不明になったとしたら、子供の数を数える前に、誰がいなくなったかに気付かないはずはありません。この羊飼いも同じ思いだったからこそ、いなくなった一匹の羊に気付き、探しに出たのです。
 それでは、なぜ、「代わりがきかない、特別な羊」なのでしょうか。それは、この羊飼いが、人間の親と同じように、羊の一匹一匹を名前で呼び、それぞれを独自の存在として、手間ひまかけて慈しんできたからです。その結果、羊の一匹一匹は、固有の尊厳を持つ存在として、かけがえのないものとなり、だからこそ、その存在が見失われたとき、羊飼いは、その一匹を探しに出かけずにはいられなかったのではないでしょうか。
 サン=テグジュペリの『星の王子さま』の中で、王子さまは、自分の小さな星で一輪のわがままなバラを手間暇かけて世話をしていました。その王子さまが地球にきて、無数に咲くバラを見て、ショックを受ける場面があります。この世で唯一と思っていたバラが、他にいくらでも咲いているありふれたバラの一本にすぎなかった、ということにショックを受けたのです。
 しかし、その後、王子さまは一匹の狐と出合い、その狐と、時間をかけて心を通わせるようになります。そして、互いに慈しむ関係を築く日々を経て、その狐が、自分にとって、かけがえのない特別な存在となっていることを理解します。そして、その理解を通じて、王子様は、自分の星に残してきた、「あのバラ」についても、大切なことに気づくのです。たくさんあるバラの一本に過ぎない、とがっかりしたあのバラが、王子様にとって、他に代わりのきかない、唯一の大切な存在になっていたこと。それは、自分がそのバラを、苦労して、時間をかけて世話をし、慈しんできたからだ、ということに。
 迷子の羊の話に戻りましょう。
 イエスは、この羊飼いを「神の愛」の象徴として語っているのだと思います。神が、人間の一人ひとりを、どれほど深く愛しているか。そして、その愛とは、無条件に、わたしたちを包み込む愛であり、わたしたちがどのような失敗を犯そうと、どんな欠点を持っていようと、変わることなく、助けの手を差し伸べる愛です。
 清泉は、この精神を教育の礎にすえて、これまで歩んできた、とわたしは思っています。教職員と学生、そして学生同士がこのキャンパスで触れ合いながら、互いが互いを、かけがえのない者として慈しむ経験は、仲間同士の限定的な「仲良し」の関係とは異なります。幾通りもの異なった関係の持ち方があるでしょう。しかし、そこに共通して求められていることは、自分が関わる相手のひとりひとりを、手間をかけて大切にすること。それによって、「それぞれ」が互いに、かけがえのない、たった一人の個人となることです。
 そして、そのような関係を築くことで、それまで当たり前だと感じていた「家族とのつながり」、「自分を取りまく人々との関係」も、また、かけがえのないものであったことに、気付くことができるのではないでしょうか。
 迷子の羊を見つけた羊飼いは、その羊を肩に背負って戻ってきます。そのとき、友人や隣人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言います。なぜ、このように言うことができたのでしょうか。それは、その羊飼いを迎えた人々の中に、その羊飼いと同じ心が育っていたからに違いありません。「道を外れて痛みを抱える人々の心」を思いやり、「道に戻って再び歩き出すこと」を心から喜ぶ、それは共感の心です。そして、そのような心こそ、「一匹位、いなくなっても、代わりはいる」「迷子になるのは自己責任」という態度とは真逆に位置するものではないでしょうか。
 私たちは、生きる道すがら、何度も迷子になります。しかし、キリスト教が伝える神は、わたしたちがどれほど遠くへ迷い出ようとも、神自らが、わたしたちを探し当て、共に歩むことで、再び、新たな道を見出して、歩き出すことができるよう、助け続けています。
 キャンパスのあちこちで、そして、折に触れて、皆さんが見聞きしたことば「Dominus Tecum」は、「主である神が、絶えずあなたと共にいる」という約束として、聖書を通じて伝えられてきた言葉です。そして、神が私たちと共にいるのは、わたしたちの歩みを、導き、支え続けるためであることを、もう一度思い出してください。

 これからの日々、あなたがどこかで道に迷い、動きが取れなくなる時があるかもしれません。そんな時、迷子になった羊を、必死になって探す羊飼いの姿を思い出してください。そして、将来、どこかで、道を探しあぐねて苦しんでいる人に出会ったとき、今度はあなたが、その人に手を差し伸べ、寄り添い、声をかけることができるようにと、こころから願うものです。
 皆さんが今日受け取った学位記・修了書には、ひとつの「使命、ミッション」への招待が込められています。それは、清泉の卒業生として、今述べてきたような神の愛を、これから、あなた方が出会う、多くの、いろいろな人々に伝えるミッションです。このことを、この学び舎を去るに際し、こころに留めていただけたら幸いです。

 卒業おめでとう。どうぞ、よい人生でありますように。

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学長  田村 俊輔

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