清泉女学院大学 清泉女学院短期大学

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学長メッセージ - 2017年度 卒業式式辞

学長 芝山 豊

ケアの文化を支える 別品の大学

人類を意味するラテン語ホモ・サピエンス(知恵の人)が示す通り、人の特性は知性にあります。人は、また、その一生を通じて、ケアし、ケアされる存在として、ホモ・クーランス(ケアの人)とも呼ばれます。互いの痛みを感じ、互いに関わることを通して、人は真の幸福を手にいれるのです。清泉女学院大学・短期大学が「こころを育てる」大学を標榜する意味もそこにあります。

スペインに源をもつ聖心侍女修道会のシスターたちが長野に居を構えて以来、本学は、その精神を引継ぎ、甲信越北陸地域唯一のカトリック高等教育機関として、社会と地域に貢献してきました。

地域の暮らしに深く根をおろし、学知と本当の優しさに裏打ちされた知恵によってケアの文化を支え、世界をより善いものに変えていく。そんな人々を世に送り出す大学として、多くの卒業生と支援者に支えられ、小規模校ながら、「かたち」のみの格付けを超えた、活力と気品に満ちた、別格、別品の大学であり続けたいと思います。

みなさまが清泉での学びに加わられる日を楽しみにお待ちしております。

2017年度 卒業式 式辞

卒業生の皆さん、おめでとうございます。ご多忙の中、ご列席いただきましたご来賓の皆さまと、ここに集う本学教職員一同とともに、心よりお祝いを申し上げます。

卒業生の中には長野オリンピックの年に生まれた方もおられます。あれから二十年がたちました。
長野も、日本も、そして、世界も随分と変わったという感慨を抱かれている方も多いでしょう。古代ギリシャ人の言葉をかりれば、「パンタ・レイ」πάντα ῥεῖ 、万物ことごとく、流れ行くのです。
今日、卒業のときにあたって、入学以来の時の流れを思い起こし、いま、何故、自分が生かされているのか、存在の神秘を思い、SURSUM CORDA 心を高くあげて、すべての過ぎゆくものの奥にあって、変わることのないもののことを考えてみましょう。

先頃閉幕した冬季オリンピックのフィギュアスケートのエキシビションのフィナーレ、全員の群舞のバックに流れた曲を覚えておられるでしょうか。アカデミー賞授賞式でも圧巻のパフォーマンスを見せたケアラ・セトルの歌う「This is me」です。ミュージカル映画の中のこの歌は、見かけが違うという理由で、世間から疎外され、暗い場所に押し込められてきた人々が、自分の居場所を見つけ、ありのままの自分が美しく、価値ある存在であるということを、「みよ、これがわたしだ」と高らかに宣言するものです。彼らは、どうして、そうした確信を得たのでしょう。それは、ありのままの自分を価値あるものだと認めてくれる人と仲間に出会ったからだと映画「グレイテスト・ショーマン」は物語ります。
本学在学中の出会いによって、人生に積極的意味を見出せたという方が多くいれば、こころから嬉しく思います。しかし、例え、まだ、そんな存在に出会えていないと思う人がいても、心配はいりません。ここで学んだ皆さん全員、Dominus tecum「主はあなたとともにおられる」というラテン語の言葉を知っているはずです。
「努力は必ず報われる」ということが真実であるとしても、それは自分の思い描いた結果が必ず手に入るということではありません。突如起こった一陣の風に、積年の夢であったメダルを逃す選手もいれば、不戦勝で優勝する人もいます。卒業後のこれからの人生で、予期せぬ、不運に見舞われることもあるでしょう。考え抜いた正しい行いをしたために、かえって、不利益を蒙り、謂われなき非難を浴びるようなことが起こるでしょう。あてにした誰かに裏切られ、全世界から見放されたように思える時があるかもしれません。そんな孤立無援の絶望的状況に陥ることがあっても、大丈夫です。清泉の校舎に刻まれたそのラテン語のことばを思い出して下さい。たとえ、世界中があなたを無視したとしても、あなたをいつもずっと見守っている、確かな存在があるのです。

清泉女学院の学びの中心にあるものは、その確かな存在の示す「愛」です。キリシタン時代、新約聖書の言葉であるギリシャ語のアガペーは、誤解を招きやすい「愛」ではなく、「御大切」と訳されていました。愛は「大切、大事にする」こころと言った方がたしかに分かりやすいでしょう。「敵を愛せ」と言われても、敵を好きになることは難しい。でも、たとえ、敵であっても、相手の存在を認め、その存在を大事にすることはできる。他者を愛することは、執着することではなく、大切にすることです。在学中、繰り返し学んだように、福音の重要なメッセージは、例外なく、すべての人、一人一人が、神から愛される、つまり、大事にされる、大切なかけがえのない存在であるということです。そこには、~がファーストといった区別や序列はありません。快適さや、経済合理性のためなら、自然環境はどうなろうとかまわないとか、自分たちさえ安全なら、パレスチナのガザやシリアの東グータの子どもたちがどうなろうが知ったことではないということは、絶対にありえないのです。
いま刻々と世界から奪われ続けているのは、デジタル世界の仮想通貨などではなく、愛なのです。教皇フランシスコは、怠惰な利己主義、実りをもたらさない悲観主義、孤立願望、互いに争い続けたいという欲望、表面的なものにしか向かない関心などが愛の欠如をもたらすことを、度々指摘しています。そんな傷ついた世界を、ここ、うわののキャンパスにおいて、他者とのかかわりの中で、それぞれのこころを育てきたあなたがたが、その共感に溢れた笑顔で癒し、平和をつくりだしていくことを、わたくしたちは信じています。 二十一世紀の最も広い意味でのケアの文化を支え、世界をより善いものに変えていく皆さんを、本日、社会に送りだせることは、私たち清泉の教職員にとって、大いなる喜びであり、誇りです。
どうか、これからも、清泉の卒業生として、本学の未来を支えて下さい。

卒業生のみなさんの末長いご多幸と、社会でのご活躍をお祈りするとともに、本日、御列席のご家族、関係者の皆様へ、これまで本学にいただいた暖かく力強いご支援を深く感謝申しあげて、式辞の結びと致します。 ありがとうございました。

2018年3月17日
学長 芝山 豊

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