清泉女学院大学 清泉女学院短期大学

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学長メッセージ

学長 田村俊輔
学長 田村俊輔

本学は「こころを育てる」を教育目標の基本に掲げています。この「こころ」についてお話しします。それは他者に共感する力を持ったこころです。

本学の建学の理念であるキリスト教の中心メッセージは「神が愛したように互いに愛し合いなさい」です。「神の愛」とは、人間一人ひとりのかけがえのない固有の存在を尊び、慈しみつつ、その成長を助ける愛です。聖書の中でイエスは、そのような愛で人間がお互いに愛し合うことによって生み出される世界を創っていくことを説いています。

そのためには、他者が痛みを持っている時、苦しんでいる時、その痛み、苦しみを自分のことと感じる共感能力が必要です。この共感能力とは、感じるだけではなく、その痛みを共にし、その問題解決のために自分ができることは何かを考え、実行に移すことができる力を内包するものです。

本学は、教育と教職員、学生同士の触れ合いを通じて、学生ひとり一人が神の愛で慈しまれていることを体験し、その体験に基づいて育まれる共感能力を身につけて、お互いを大切にして日々を過ごせる教育環境を提供します。

このような環境の中で、ここに集うひとり一人が、よりよい社会の一員として羽ばたけるようになることを目指しています。

2023年度入学式 式辞

 皆さん、ご入学おめでとうございます。
 本学は、スペインを発祥の地とする「聖心侍女修道会」によって設立された大学です。聖心侍女修道会は、世界各地に多くの姉妹校を持ち、1934年の来日以来、日本においても小学校から大学までいくつもの学校を設立してきました。それらの学校は東京圏と長野に位置しているのですが、今日は、なぜ、この「長野に」清泉の学校があるのか、そして、それが本学の教育に、どのような意味を持っているのかについて、お話しいたします。

 皆さんは「隣人愛」という言葉をお聞きになったことがあると思います。
 聖書の中には、イエスに対して「隣人とは誰か?」と問うユダヤ教の律法学者が登場します。当時のユダヤ人は、「自分たちの民族に属する人間だけが、隣人である。自分の民族に属さない人間は、日本語で言う「赤の他人」であり、隣人愛の対象とはならない」という考え方を持っていました。これに対して、イエスは次のようなたとえを話されました。
 「ある人が、エルサレムから下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、瀕死の状態にしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 同じように、レビ人(びと)もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って、傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」  さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」 そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」』
 この話は「善きサマリア人のたとえ」として知られています。では、この話しと清泉がどのようにつながってくるのでしょうか。
 今から78年前、昭和20年の5月、―まもなく、太平洋戦争が、終わりを迎えることになる夏の初めですー、長野県、野沢温泉村の人々は、次のような知らせを受けました。
 「外国人の女性たち約20名が疎開先を探している。その女性たちは、キリスト教の修道女で、宣教のために外国から日本へやってきたが、東京で空襲にあい、いったん松本に疎開したが、軍の命令でそこからの退去を命じられ、行く場所がなくて、困っているらしい」と。
 その修道女たちの中には数人の日本人も含まれているが、その他は外国人だとのこと。外国人を見れば「敵のスパイである」とみなすような戦争末期の混乱の中で、外国人を助けようとする者があれば「敵の協力者だ」とみなされる危険がありました。そのような状況においては、助けたい、と心の内で思ったとしても、躊躇する人々が多かったことでしょう。先のたとえ話の、追いはぎに襲われた人を助けずに、通り過ぎた祭司やレビ人(びと)が、そうであったように。
 そんな中、旅館を営む、ある家族が名乗り出ました。「うちで受け入れます」と。
 その家族の当主は杉山源一さんという方でした。
 杉山家は、家屋のほとんどを提供して、聖心侍女修道会の修道女21名を受け入れました。そして、5月から、8月の終戦を挟んで12月初めまで、シスター方は、杉山家によって、住まいだけでなく、その当時困難を極めた食料調達や、日々の暮らしの様々な助けを受け、戦争中、戦後の、最も困難な時期において、文字通り、命をつないだのでした。
 それだけではなく、滞在中、体調を崩していた一人のスペイン人の修道女、シスター・コンセプションが亡くなったとき、杉山家は、家族の墓地の一角を提供し、そのシスターは、野沢の地から、天に帰ったのです。約半年間の野沢温泉村での日々、シスター方は、杉山家の人々の中に、イエスのたとえ話のサマリア人の姿を、重ねあわせたにちがいありません。
 先のたとえ話におけるサマリア人とは、ユダヤ人から見れば、赤の他人でした。強盗に襲われた人がユダヤ人であったとすれば、困ったときには、助けてくれるはずの、同胞である、祭司やレビ人(びと)に見放されたことへの絶望。そんな絶体絶命の状況において、差し伸べられた救いの手のありがたさ。しかも、その救いの主が、自分たちが日ごろつき合おうともしなかったサマリア人であったこと。そして、エネルギーと時間を使って自分を助けた後に、お金までおいて、なんの見返りも期待せず、立ち去ったことへの驚き。この驚きこそが、助けられた人の心に、次のような決意を生んだことは想像に難くありません。それは、「本当に、ありがとう。もし、将来、困っている人を見かけたら、その人が「誰であれ」、今度は「私が」その人を助けます」という決意です。それと同じような驚きを、シスター方は、杉山家の人々に対して、抱いたのではないでしょうか。
キリスト教の修道者として、自分たちが伝えようとしていた「神の愛」、それは、無条件に人間の、一人ひとりを慈しみ、助けようとする愛です。杉山家の人々を通じて、シスター方が抱いた驚きは、その愛が、特定の宗教や、民族、文化を超えて、人間の心に共通して流れていることを、教えられた驚き、でもあったと思います。そして、その思いは、シスター方にもまた、サマリア人に助けられた人と、同じ決意を、もたらしたに違いありません。
 日本語には、「恩返し」という言葉があります。恩を受けたら、助けてくれた人に恩を返す、という意味であり、英語では「Pay it back」と表現されます。これとは別に「恩送り」、英語で言うと「Pay it Forward」という言葉があります。それは、誰かに助けられたら、次に自分が出会う、「他の」困っている人を助ける。助けられたありがたさを、相手がどのような人であれ、次の他者への、助けの手として伝える、という考え方です。
 恩返しは重要です。しかし、場合によっては、恩を受け、恩を返す者同士の間だけで、助け合いの輪が閉じてしまうこともある関係です。一方、恩送りは、時と場所を超えて、助けの手が多くの人々に無限に広がっていく可能性を秘めています。先ほど読んだ聖書の物語でイエスが示そうとした「隣人愛」とは、この「恩送り」という行為によって、次から次へと受け渡され、すべての人間へ開かれていく愛、を示しています。
 戦争が終わって、シスター方は、一つの選択に迫られます。それは、東京へ帰るに際して、長野からすべてを引き上げるか否か、という選択です。そして、シスター方は、長野の若者たちのために、長野にも教育機関を設立することを決断しました。その決断こそ、杉山家から手渡された、助けのリレーのバトンを、次の人々へ手渡す始まりでした。そして、78年の長き時を経て、そのバトンが今、ここに集うあなた方に、手渡されているのです。
 わたしは、これらの出来事を通じて、時と導きが醸し出す、「深い神秘」を感じます。
 人間はいつの時代にも、人を助ける、という行為を行ってきました。しかし、その一方で、困っている人に対して見向きもしない、という傾向も存在します。そして、そのような傾向は、イエスが生きた時代よりも、強まっているのが、今日の世界ではないでしょうか。
 しかし、そのような流れにあらがうように、自分の身の周りの人間の、一人ひとり、出会う人々を、誰であれ、「隣人」として無条件に尊び、自らが痛い思いをしてもなお、助けようとする、多くの「善きサマリア人」が、世界のあちこちに、存在してきたことも確かです。そして、長野の地における清泉女学院は、この日本にも、そのような「善きサマリア人」がいた、そして、今もいることの、生きた証でもあるのです。
 今日から、皆さんの、清泉での勉学の日々が始まります。では、その勉学は、何のための学びでしょうか?夫々、将来へ向けた、様々な目標があるに違いありません。しかし、改めて、心に留めていただきたいことは、家族、友人をはじめとして、多くの人々からの助けの手に支えられて、今の自分がある、ということ。そして、その気づきのもとに、様々な困難に直面する人々に出会ったとき、助けの手というバトンを、より豊かなかたちで、手渡すことができるようになること。そして、そのようにして実現する、「よりすこやかな世界の建設」を望む心を、本学において、はぐくんでいただきたい、と心より願うものです。清泉へようこそ。

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学長  田村 俊輔

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