清泉女学院大学 清泉女学院短期大学

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学長メッセージ

学長 山内宏太朗
学長 山内宏太朗

他者のために、地域のために、社会のために

「人間は、一人ひとりが、かけがえのない、他の誰にもとって代わることのできない存在であること」。本学は、その実現のために、「存在の価値を見出し、その存在にふさわしい人間になることを手助けすること」を基本として、この長野の地で教育を提供してきました。設立母体である「聖心侍女修道会」の「侍女」には、この会の使命と精神が的確に表わされています。すべては他者のために…。そこには自由な雰囲気、他者との信頼関係を築き、一人ひとりを大切にし、その人たちのために生きようとする精神が流れています。これは、カトリック教育の軸であり、学生のみなさまにも是非身につけていただきたいと願っている大切な価値です。

本学は、この精神を礎とし、甲信越北陸唯一のカトリック高等教育機関として、次世代へとつなぐために、現在「清泉百年プロジェクト」を展開しています。清泉女学院を学びの場として、この長野の地から他者のために、地域のために、社会のために奉仕できる教育を提供していきたいと思っています。

2019年度 卒業生のみなさまへ(学位記授与式式辞に代えて)

 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、「わたしは手ではないから、身の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(コリント人への第一の手紙12.14~26)

 このたびは、2019年度清泉女学院大学および清泉女学院短期大学学位記授与式を、新型コロナウィルス感染症拡大防止のために取りやめることといたしました。本学学長として、教職員を代表してお詫び申し上げます。
 この決断により、皆さんが思い出深いキャンパスで、ともに学んだ友人やご家族の皆さまがた、私たち教職員とともに祝う場がなくなってしまい、残念に感じていると思います。しかしながら、皆さんを未知の感染症の被害者にも、加害者にもさせないために、そしてこれから社会に出る多くの皆さんを、4月から勤務する職場に健康な状態で送り出すために、リスクを最小限に抑えたいとの思いで苦渋の決断をいたしました。私自身も直接皆さんにお祝いのことばをお伝えできず、非常に残念に思っております。
 本年度は、清泉女学院大学人間学部心理コミュニケーション学科55名、清泉女学院短期大学幼児教育科100名、国際コミュニケーション科95名、総数250名の卒業生を、社会に送り出すことができますことを、ここに謹んでご報告いたします。
 カトリック教会では、今年はちょうど今がイースター、復活祭を待ち望む四旬節と呼ばれる期間です。イエス・キリストの受難と十字架上の死、そして復活を想い起すことで、改めて自らの信仰を省み、日々の生活を回心し、イエスに倣った生きかたをする時期となっています。
 今回のメッセージに際して、私は皆さんにお送りしたい聖書のメッセージを選びました。新型コロナウィルス感染症の影響で、学位記授与式だけではなく、現在日本中はさまざまな行事やイベントが中止・延期となり自粛しています。見えないもの、わからないものに対して、人間は不安や恐怖を感じる傾向にあります。実際、感染症への過度な不安からマスクや除菌ティッシュの買い込みだけでなく、トイレットペーパーや食品まで買い込んで品薄になるなど、さまざまな噂やデマに人びとが惑わされている状況はご存知だと思います。また、感染症は加害者も被害者もないのですが、実際には被害にあっているはずの発症者の人権まで踏みにじられる状況にもなっています。
 先ほどの聖書の箇所にはこのような一節が書かれています。
 「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです」。
 おそらくみなさんはキリスト教の授業などで「隣人愛」という言葉をたびたび聞いたと思います。隣人愛とは、自分の身のまわりにいる隣の人を大切にするということではありません。「すべて」の人を隣人として大切にすることを意味します。カトリックで考えている共同体とは、自分の好きな人だけでの集まりではなく、さまざまな人たちとそれぞれの「違い」を乗り越えて、受け入れて、かかわる仲間のことを意味します。この聖書の箇所でも、共同体は一つの体のようなものであるので、それぞれの器官が互いに要らないとは言わないとあります。
 今、新型コロナウィルスの影響で、人種差別や苦しんでいる他者を思いやらない買占めや販売などについて耳にすると、このようなときだからこそ、自分や自分の周りだけでなく、共同体として最も弱い人びとを考え、具体的な行動をすることが社会に求められていると感じます。
 今後社会に出る皆さんは、今回のことだけではなく、これからの出会いや体験の中で、他者との「違い」を実感することになると思います。他者を大切にするためには犠牲を伴います。友だちのために自分の大切な時間をちょっと犠牲にして耳を傾ける、家族のために忙しくても家の手伝いをするなど、私たちは他者のために自分を少し犠牲にします。しかし、その犠牲は苦しいものではなく、人間としての喜び、こころの豊かさではないでしょうか。
 このような価値観はもしかすると社会の一般的な価値観とは違うかもしれません。本学の皆さんは、この犠牲によって他者が喜ぶことを一緒に喜ぶ。皆さんが清泉で育んだこころ、身につけてこられた力は、社会の変動や不安定な状況にあっても普遍的価値観を見失うことなく、喜びと感謝の気持ちをもって、他者のために、共同体のために奉仕するこころで皆さんを導いてくれることと思います。
 皆さんは、新しい社会に向かいます。私はその皆さんが清泉から去っていくというようには思っていません。確かに皆さんは学びの場を離れますが、本学で受けた教育、そして、その根底にある清泉の精神を携えて、社会にミッションをもって「派遣」される人びとだと思っています。
 家庭において、また社会において、多くの人びとに、皆さん自身の具体的な奉仕を通して、清泉の精神を伝える役割をもって派遣されるのです。このことは、これから先いつまでも皆さんと清泉女学院大学・清泉女学院短期大学とが、このミッションによって、繋がっていることを意味します。
 最後になりましたが、卒業生の皆さん、今日の喜びを新たにするとき、この喜びは、長きにわたり皆さんを経済的に支えまた精神的に支えてこられ、今日この日を心待ちにされていたご家族・縁者の方々があってのことであることを思い出していただきたいと思います。さらには、共に学んだ仲間の励まし、多くの教職員から直接に間接にいただいた支援に感謝の念を深く心に留め、これからの人生を歩まれることを念願いたします。
 ご家族の皆さま、卒業生を支えてくださった皆さまがたには、心からお祝いを申し上げるとともに、これまでのご苦労に感謝の意を表します。これからの皆さんとご家族の新しい生活に、神様の大きな祝福がありますように。
このことを心から願い、学長式辞といたします。

清泉女学院大学・清泉女学院短期大学
学長  山内 宏太朗

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